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8月は戦争の話し中心です。


by chobimame

都電荒川線の旅


最近、すっかり出不精になってしまい、
なんだか何処にも行きたくないよぉ~~~と、
ひたすら精気のない夏を送っておりましたけど、
こんなことじゃいけない!!
青春は二度と戻ってこないんだらかーーー!
(そこのあなた、いま何か言いましたか?ヽ(~~~ )ノ )
なんて、思ったのも束の間・・・
別に行きたいところもないので、取りあえず都電に乗ってみました。










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初めて乗る都電・・・切符の買い方がわからない・・・
並んでいると前から乗るみたいで、都電の運転手さんに「1日乗り放題頂戴」
緊張から、わけの判らない言い方してしまったけど、ちゃんと乗車券が買えました!
乗り放題で、なんと400円!!安い!!
(といっても何処まで行っても片道170円)
とにかく終点の「三ノ輪」まで行ってみた。

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都電なんてガラガラに違いないわぁ~~~!と思っていたら
すごいギューギューだったよΣ(゚Д゚)
朝のラッシュかと思いましたぁ~~~
その電車の中に、日本在中のミャンマー人の団体が乗っていたり・・・
小さな手製のカゴに人形を入れて、「次は○○駅だよ」「うん!お父さん」と
ひたすら1人芝居をしているオジイサンがいたりと、何か緊張感漂う車内でした。


っとその時!!

そのオジイサンが急にちょびまめの横にきて
「都電は昔は2両編成だったの!2両の方がいいよね?」と
ちょびまめの目をガッツリ見ながら同じ言葉をエンドレスに繰り返しました!

ΣΣ(゚д゚lll)ズガーン!!ΣΣ(゚д゚lll)ズガーン!!ΣΣ(゚д゚lll)ズガーン!!

ちょびまめも「えっえぇ。はい・・それがいいです」と、そのオジイサンが
電車を降りるまで、エンドレスに繰り返しました(|| ゚Д゚)トラウマー


そんなこんなで三ノ輪に到着。
アクシデントの見舞われ、食欲もなくなりグッタリしていましたが、『砂場』発見!!
都内各所にあるそばの名店、「砂場」の総本家。
江戸時代から続いていて、当主は18代目だそうです。
蕎麦は、白くて細くてコシのある麺で、喉越しが良いです。
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現在の店は1954年に建てられたもので、情緒あるたたずまいを残している。
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三ノ輪商店街をブラブラと散策してみたけど、ちょっと寂れてる感じなので、
また都電に乗って、きた道を帰りました。
せっかく1日券を買ったので、飛鳥山公園で降りてみました。
飛鳥山公園では、ミャンマー人のデモみたいな大きな集会をやっていて、
アウンサンスーチーさんの写真が何枚も飾られていて、反戦歌みたいな歌を大合唱していた。
きっとミャンマー国内の動きに追随してるのかもしれません。
それを横目に、飛鳥山公園の一番端になる『渋沢栄一資料館』へ。
しかぁ~し!工事中で中は見られず・・・(2007年5月7日~10月31日まで休館)
旧庭園内にある大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」の外観だけ眺めることに。

『晩香廬(ばんこうろ)』
1917(大正6)年の竣工。
渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室です。
晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。
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『青淵文庫(せいえんぶんこ)』
1925(大正14)年の竣工。
沢栄一の80歳のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(当財団の前身)が寄贈した鉄筋コンクリートの建物です。
栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。
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渋沢栄一はこんな人
『渋沢栄一』

都電に乗る時は、ちょびまめのように行き当たりばったりではなく、
下町散策のガイドブックでも見た方が良いかも~~~
帰りの都電に、はとバスの団体客が乗っていて驚いた。
なんだか新しい発見のある都電の旅でした。
by chobimame | 2007-10-02 22:32 | 街であったこと