8月は戦争の話し中心です。


by chobimame

模擬原爆パンプキンを落とした男



アメリカは日本全土を焼き尽くそうとしていました。
女、子供、老人、戦火に逃げ惑う人々に容赦なく空襲をしかけていました。
しかし、唯一皇居の空襲だけは許可をしていなかったのです。







第二次大戦中、テニアン島にはハゴイ飛行場という大きな飛行場があったことから、日本軍の重要な基地となり、軍人は陸海軍合わせて約8500人が駐屯していた。
アメリカ軍はテニアンの戦略的価値の高さに注目し、1944年7月24日に北部のチューロ海岸から上陸し激しい戦闘の結果、日本軍は玉砕。
8月2日にアメリカ軍は同島を占領した。
その後、日本軍が作ったハゴイ飛行場は拡張整備され、本格的な日本本土空襲を行う基地になるという皮肉な場所になった。

1945年5月10日。テニアン島に前年9月に編成された秘密部隊、「第509混成群団」が乗り込んできた。
陸・海・空軍の混成プロジェクトチームで、飛行技術を重視して作られた部隊だった。
その中の1人、皇居にパンプキンを落とすことになるクロード・イーザリー少佐(1918年10月2日 - 1978年7月1日)がいたのだ。
クロード・イーザリー少佐の任務は、主に原爆投下作戦において、気象観測機(ストレート・フラッシュ号)のパイロットを務めた。
彼は素行の良い軍人とは言えず、名誉欲が強い一面があり、酒とギャンブルが好きなことから機体にストレート・フラッシュと命名したという話しもある。

気象観測機のパイロットであるクロード・イーザリーは、原爆投下直前の7月20日、日本の上空の観察および、パンプキン投下の為に郡山を目指した。
だが曇って視界が悪かった為に、郡山にパンプキンは投下せず、独断で目標を東京に切り替えた。
午前8時20分、茨城県方面より侵入したイーザリーは皇居を目指した。
東京上空も視界は曇っていた為、目視投下が出来ずレーダーによる投下を行った。
パンプキンは皇居をやや東に逸れ、東京駅東側の呉服橋と八重洲橋の中間あたりに落下し、3名の死者が出た。

なぜ禁止されいた皇居を狙ったかは、今ではクロード・イーザリー本人が知るのみになるが、彼の性格上、名誉欲が強く本来ならば自分が原爆投下に直接関わりたかったが、
それが叶わなかった結果、原爆投下に匹敵する大きな仕事(皇居に投下)を考えるようになったのではないかと推測されている。

8月6日の広島原爆投下作戦においては、エノラ・ゲイに1時間先行してテニアン島を離陸し、広島上空の天候を観測して爆撃可能の情報を打電している。
エノラ・ゲイが広島に原爆投下を終えテニアン島の北飛行場に帰還すると、12人の搭乗員は出迎えた数百人の将兵らに祝福された。
その夜は派手な祝賀会が一晩中続いたという。

戦略空軍総司令官カール・スパーツ少将から、エノラ・ゲイのティベッツ大佐(エノラ・ゲイというのはティベッツ大佐の母親の名前からとった)には栄誉十字章が、他の12人には銀星章が与えられたが、気象観測機のクロード・イーザリーには、その名誉が与えられなかったという話しもある。
しかし、アメリカの民衆は原爆投下に加わった第509混成群団の人々を英雄と呼んだ。

1947年の退役後、クロード・イーザリーはキューバ政府を転覆することを望んだアメリカの冒険家たちによるキューバ爆撃の準備活動に加わり逮捕補され、その頃からクロード・イーザリーは変化をしていったという。
平和主義者グループに接触してみたり、支払い小切手の一部を、謝罪の手紙とともに広島に送ったり、自殺を図ったという話しもある。
「戦争の英雄」という一般に浸透していたイメージを傷つける為に銀行強盗、偽造小切手の作成をしたという。
そして小さな金額の偽造支払い小切手を作って金をだまし取り、その金を広島の子供たちの基金に送った。
銀行強盗や郵便局へ押し入り、結局なにも取らなかったりと奇行が目立つことから1954年から55年の1年間、刑務所に入所後、統合失調症か破滅欲求症の疑いが持たれテキサス州ワコにある退役軍人病院に収容された。
その頃に、クロード・イーザリーはウィーンの哲学者で平和主義者のギュンター・アンデルスと文通を始め、核兵器廃絶訴え始める。
イーザリーの死後、交わされた書簡を『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』として出版している。


広島の原爆投下に関わったクロード・イーザリーが退役後、なぜ急に「英雄」というイメージを傷つけるような犯罪を起こしたり、広島に謝罪の手紙やお金を送金したり、原爆投下を否定しはじめたのだろうか?


広島の原爆投下の翌年、1946年7月1日。
アメリカの核実験クロスロード作戦の中の1つ、「エイブル」実験にクロード・イーザリーは参加をしていた。
クロード・イーザリーは、核爆発後の大気中の放射性降下物を飛行機で調査の際に被曝をしてる。
妻が二度流産したことをキッカケに、ジョン・ハーセイの著書『Hiroshima』により自身の被爆と被爆者の実態を知った。
その事実が彼に多くの苦悩を与え、1947年に陸軍航空隊を除隊。
クロード・イーザリーには、被爆者によく現れる病気、ガン(喉頭ガン)を患い声を失い、心身ともに被爆の恐ろしさを実感したという。

広島原爆投下の任務を負った第509混成群団の「特別ミッション13」7機、要員合計71名の中で、「原爆投下」に激しい罪の念をもち、原爆を否定したのはクロード・イーザリーただ1名だという。
原爆投下に参加した第509混成群団の兵士たちは、今も原爆を正当化し続けているのだ。

しかしそこで思うのは、なぜアメリカ兵の中で原爆の肯定派、否定派がいるかだ。
クロード・イーザリー自体も、アメリカでは原爆に関わる英雄という扱いであるし、
それでも、たった一人だけ原爆を否定しているのはなぜだろうか?


それは、兵士たちの命運によって原爆の意見が分かれることです。


アメリカは今もなお事実を隠し続けていますが、クロスロード作戦を始め、ネバダ核実験場などで数十回と行われた核実験で、多くの兵士や一般市民を意図的に、残留放射能などによる人体実験に使用しているのです。(プルトニュウムを直接投与された子供達までいる)
同じアメリカ兵でも、当時の核実験に使われ後遺症に苦しむ兵士などは、強く原爆を否定しています。
クロード・イーザリーも、その後遺症に悩む一人だったということです。
もし、クロード・イーザリーが原爆の人体実験に使われていなかったら、彼が原爆否定派になっていたかは疑問です。
被爆者と同じ体験をし、初めて気がつく原爆の恐ろしさ。
それを思うと、人は実に愚かな生き物だと思わずにはいられません。
クロード・イーザリーの人生は、それを物語っているのではないでしょうか。


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今も世界では、競うように核の保有がなされいます。
核を欲しがるのは、絶対に原爆の被害に遭わないような人々です。
戦争における被害者は、いつも一般市民です。
核の恐ろしさを体験してからでは、取り返しがつかないのです。
人を殺す為に作り出される兵器。
いったいそれが何になるのでしょうか?それで平和が来るのでしょうか?
戦争には勝ち負けはありません。
あるのは破壊だけなのです。
こんな愚かなことは二度と繰り返されてはなりません。
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by chobimame | 2008-08-13 20:18 | 時事