8月は戦争の話し中心です。


by chobimame

この国の平和教育と自虐的思想


今日は、昨今の日本の動きをみて、
色々感じることを書いていこうと思います。

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下記の文書は、昨年私が違うブログ(そのブログは閉鎖しました)に載せたものです。

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この国は戦後61年、きちんと平和教育を行なってきただろうか?
靖国参拝などを巡っては、近隣国の顔色ばかりを見て、神経過敏といっても良い程の反応ぶりだが、その靖国神社でさえ「英霊が祭られている」というより「お花見」というイメージ強い人の方が多いのではないでしょうか?
この国の議員たちは、国内に向けての平和教育には、まったく関心がないらしい。
政治や利害が絡まないと、論じられない問題なのだろうか?
戦後61年、平和について私たちは何を聞き、何を学んできただろうか?
驚く事に、第二次世界大戦、広島・長崎原爆投下を知らない子供たちは年々増えている。
増えているのは教えていないから当然の事で、平和教育とは周りの環境が大事であって、自然に身につくものではない。
戦争という名の下において、平然と奪われていく命、正当化される大量殺人。
その重みを伝えなくて恒久平和は語れない。
まるで標語のように「平和」と子供たちに言わせてみたとしても、平和教育を怠っている現在では、どこまでその言葉を理解出来るかは言うまでもない。
戦後61年経ち、戦争体験者、被爆体験者、の数が減ってきている現状にあり、平和教育に躊躇している時間の猶予がない。
日本に何があり、また本当の平和の意味も知らずに育つ子供は不幸なのではないでしょうか?
唯一の被爆国なのだから、どこの国よりも生きた平和教育が出来るはずなのに、それを怠ってきた日本はどこへ進むのでしょうか?
今、こうして戦争のない国に生きていけるのは、大変素晴らしいことです。
しかし、この国の若者は、命の尊さをしりません。
そして、平和が永遠に続く保障はないということも知りません。
この国に真の平和がやってくる時は、みなが平和の意味を知った時です。
それには、大事なことを風化させない教育は絶対に必要なことなのです。

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1年前と1年後の日本。
日本の状況は変わっているでしょうか?
平和教育に関しては、どんどん減っている傾向が見られることから、後退しても進展はしていないように思います。
そして驚くことに、年々修学旅行の候補地から広島・長崎が除外されています。
その反面、修学旅行地に韓国を選ぶ学校が増えています。
そんな学校・教育者の中には、日本の戦争の歴史や平和教育も満足に教えていないにも関わらず、子供たちに一方的な偏った自虐意識を与え土下座や謝罪をさせる「謝罪修学旅行」を実施しているところもあります。
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日本の歴史検証にしても同じです。
日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)の時から、戦争という歴史を封印し風化させてきました。
そして、極東国際軍事裁判により植え付けたられた自虐意識だけを持ち続け、正面からこの問題を見てきませんでした。
戦争という歴史検証を怠っている間に、外国からの内政干渉ともいえる行為にも、言われるがままに謝り、ひたすら顔色を伺い、ただ時の過ぎるのをいつも黙って待っています。
日本が黙殺してきた歴史の風化は激しく、今では何が真実で何が嘘か、風化させてしまった真実から検証するには大変に苦慮する状況なっています。
しかし、やらねばなりません。歴史の事実を検証し、正しい認識を持たなければ日本人としての誇りが持てないからです。
こういう問題に触れると、必ず右やら左やらという思想議論と思われがちですが、
事実を検証することに、平和を願う気持ちに、本来右も左もないと思います。
そこに必要なのは公平性なのだと思います
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世界の戦争の流れは、第二次世界大戦から、「勝てば官軍 負ければ賊軍」なのです。
戦勝国は、どんなに無残な非道なことをしても正当な行為とみなされ裁かれませんが、敗戦国は裁かれるのです。(現に、アメリカが投下した原爆や一般人を狙った空襲は正当化されています)
果たしてそれが正しいことでしょうか?
戦争とは、勝っても負けても同じく無残で非道な行為なのです
そこには一片の正当性はなく、ただ人の心と体に消えない深い傷が残るだけなのです。
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私達が生きてきたわずか数十年の間でも、どこかで戦争が続いています。
核の脅威は教訓として生かされず、脅威を武装という形に変え、今も世界中核武装が進んでいます。
広島・長崎で使われた核爆弾より威力の大きいものが、世界中に40万個以上あるといわれています。
それが使われたら、いったいどうなるのでしょうか?
今の日本は平和です。
あたかも平和が当たり前であって、未来もずっと平和のような気がしますが、
その平和は未来永劫保障された平和でしょうか?
たった62年前に日本は戦争をしていたのですよ。
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私達大人が戦争のこと、平和のこと、命のことを忘れてしまったらどうでしょうか?
誰が次の世代に伝えていくのでしょうか?
一発の銃弾、一発の爆弾で、人を殺すのは簡単です。
しかし、そこに生まれるものはなんでしょうか?
怒り、憎しみ、悲しみ、以外の何ものでもないと思います。
そうならない為にも、平和に胡坐をかかない認識が大事だと思います。
そして正しい歴史認識と共に、平和には何が必要か?平和を作っていこうという意識を忘れないで欲しい。
平和が「当たり前」の世界になるように!



*「勝てば官軍 負ければ賊軍」
戦いに勝ったほうが正義になり、負けたほうが不義となる。
道理はどうあれ強い者が正義者となるというたとえ。




=====追記=====

先日の記事「なぜ原爆は投下されたのか?」の中でもご紹介したパール判事の話ですが、
戦争の歴史認証をする上で、極東国際軍事裁判(東京裁判)において裁判の不当性から「日本無罪」を主張したパール判事を抜きにして語れません。
なぜパール判事は「日本無罪」を主張したのか?
パール判事の残した言葉の意味は、戦争の無くならない世界に今も大きな意味を投げかけています。
極東国際軍事裁判から当時の日本の置かれた立場、戦後の日本人の自虐意識はどうして生まれたか?
パール判事の残した言葉を知ると、戦後から何も日本の現状が変わっていないことがわかり、驚かされます。
言葉の意味をよく考えてみるのは今の日本には大事なことだと思います。
気になった数点の言葉を載せておきます。(発言は、どれも40年くらい前のものです)

「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ。」

「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!とわたくしはいいたい。」
  
「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かという激しい論争や反省が展開されている。げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こそ正論である>として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。しかるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうしたことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・」 

「日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットまで出して、日本の《罪悪》を謝罪し、極東軍事裁判(東京裁判)の御礼まで述べている。東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。なぜ正しいことは正しいといえないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか。」


-道徳ボヤキブログより-
『極東国際軍事裁判において日本無罪を唱えた判事』

この本は戦争の矛盾を問いかける真実の一冊といまえす。
『パール判事の日本無罪論 (小学館文庫) (文庫) 』

第二次世界大戦について考えてみましょう↓
『大東亜戦争の本質について』

『極東国際軍事裁判』
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by chobimame | 2007-08-21 23:25 | 時事