8月は戦争の話し中心です。


by chobimame

許されざること


今年も、清水寺の貫主によって1年の世相を表す「今年の漢字」に「命」が選ばれました。
この漢字は公募によって決められるのですが、秋篠宮ご夫妻に悠仁(ひさひと)さまが誕生され明るい話題もありましたが、いじめ自殺や飲酒運転による死亡事故など、「命の重みを痛感した年」という理由が多かったそうです。


今日の話は、少々長いです。









11月も終わろうとしている頃、知人からの電話でN君が上野で4人組の男にボコボコにされて救急車で病院に運ばれたという話を聞いた。
N君は、私の知人でイタリアンのコックをしている人だ。
とても温厚で、人の悪口や仕事の愚痴なんて聞いたことがなく、周りの人たちへの心遣いも細やかな、見るからに穏やかな風貌と同じく100%善人だ。
3年前に結婚し、2歳になる子供がいて、その子供の話をする度に顔を緩ませていた。
そのN君が、なぜそんな事件に巻き込まれたのだろう?

事件から1週間ほど経って、N君が落ち着いた頃に電話をくれた知人と見舞いに行った。
1週間という時間が流れているにも関わらず、N君の顔は両目がパンダのように赤紫に縁取られ、おでこは青染んだコブが腫れを引いておらず、事の凄惨さが言わずとも見ただけでわかった。
後頭部や、背中や腰にも相当なダメージがあり、3日間まったく起きることさえ出来なかったらしい。
N君の話によると、仕事帰りの11時過ぎに駅に向かって歩いていると、向こうから4人組の男が何か大声で話しながら来たという。
まさか自分に話しかけているとは思わずに、そのまま行き過ぎようと思った時、その中の1人に「無視してんじゃねぇよ!」と言われ、路地裏に連れ込まれた。
理由を聞こうとした時、その男の仲間3人加わり、4人でN君をボコボコにしたという話だった。
N君は、途中までは記憶があったらしいが、警察や救急車が来た時には、すでにN君の意識はなく、搬送先の病院で気がついたそうです。
その4人組は年齢でいえば20代前半くらいの若い男たちで、N君とはまったく面識がない。
加害者たちはパトカーのサイレンを聞くと、一斉に逃げたらしく警察が来た時にはすでに姿はなかった。
そして、まだ捕まってはおらず、加害者たちはのうのうと普通の生活を続けている。

N君は私たちを心配させまいと「ほんと、もう大丈夫だって!だけど、どんなに応酬しても4人相手じゃかなわないよなぁ」と照れたように笑いながら言った。

なぜ何もしていない人が、こんな被害を受けなくてはいけないのか?
こんなことを「運が悪かった」なんて言葉では、到底片付けられない。
腫れあがったN君の顔を見る限り、たんなる酔っ払いのケンカといえるレベルではない。
加害者には確実に殺意があったと思う。
顔も知らない、すれ違っただけの相手を意識がなくなるまで4人で殴ったり蹴ったりするなどとは、
いったいどんな思考が働けば行えることなのか?
自分の命以外は、命とも思わない傲慢な意識はどこからやってくるのだろ?
ただ自分たちの勝手な思考や鬱積した心の捌け口にする為に、何の罪のない人を殺しかねない程殴る。
そこには人間としての良識なんてものは一切ない。

N君は、まだ助かったから良かったものの、もう少し警察の到着が遅ければ死んでいたかもしれない。
何の面識もない4人の狂ったヤツラの為に、家族は一瞬にして悲劇のどん底に落とされ、
子供は、わずか2歳で父親をこんな理不尽な理由で失うことになったかもしれない。
加害者たちはわかっているのだろう?自分がどんなことをしたか?
暴力がどういった悲劇を生み出すのかということを?
自分の身勝手な暴力の為に、何人もの人を悲しませる結果に繋がるということを。

いかなる暴力も絶対に許してはいけない。
暴力は、理不尽で、身勝手で、人に憎しみという感情しか与えない。

昨今、子供から大人まで、感情の抑制が出来ない人が増えている。
著しいモラルの低下と共に、「自分さえよければ」という、なんとも身勝手な風潮がまかり通っている。
ニュースを見れば殺人や自殺のニュースが溢れ、詐欺が横行し、政治家や役人は金にまみれ、そんな独りよがりな犯罪に「またか」と思っても度肝を抜かれることなんてない。
そして、その慣らされた感情に危機感すらもたない。
今の日本は、人を人とも思わず、命を命ともとらえられない、自分の欲望にだけに忠実な人の形をした生き物たくさん排出している。
本当にこのままでいいのだろうか?
自分さえよければという考えは、最終的には自分の首を絞めることになるという事に気がついてほしい。

そして、命は軽く扱われるものではないし、簡単なものでもない。
他人の身勝手な行動により、奪われたり危険に曝されるものではない。

灰谷健次郎さんの「天の瞳」という小説の一遍に、臨終を迎えようとしている祖父が孫に語る言葉があります。
「アリの命もトンボの命も、じいちゃんの命も、もともと命に高低はない。命の値打ちは同じやが、人には執着というもんがあるから、自分の命は大きく、ふくらんで見える」

自分だけの命が命ではありません。
自分の命が大切なら、他人だって命は大切なのです。
その大切さや重みはみな同じ。

このN君の話は、特別な話しではなく、都会だけの話でもありません。
人の心が狂気に触れた時、誰にでも起こりえることなのです。

こんな理不尽なことがまかり通る世の中にしてはいけません。




別件追記:ドックパークその後


アークエンジェルズ代表が、釈明会見をしました。(日本テレビで放映)
見ている限りでは、誤解を解くとまではいたっていません。
一番聞きたい部分は不透明のままです。
そして、寄付金6200万円のうち700万円程は使ったらしいが、その内容は備品購入・・・
備品の内容も曖昧な表現に終始し、とても信憑性を欠いています。
重症の動物たちを病院につれていっていないという疑惑に対しても「連れて行った」というだけで、病院の領収書等の提示はなく、こちらも曖昧なままです。
決算報告は、全てお金を使い終わった時点でするとのことですが、そのお金を使い終わったという意味は「シェルターを作った後」という意味です。
余ったお金は、寄付してもらった人に返却とも言っていましたが、それもかなり具体性を欠いています。
私が一番驚いたのは、今回の疑惑についてはアークエンジェルズの「反対勢力による妨害工作」によりマスコミにデタラメな内容を流したといっていましたが、
このフレーズってどこかで聞いたことないですか?

よくカルト教団が、窮地に陥るとマスコミに対しこういう言葉を出しますよね?

しかし、今回の話は、林代表の行動に疑問を持った現地ボランティアさんから出た話であって、それを「反対勢力」と呼んでしまうのはいかなるものでしょうか?
疑惑が事実ではなかったとしても、このような疑惑を持たれるような動きをしたことに反省するべき点はあると思います。
他人のせいにする前に、自分の行動を振り返ってみるのが、今の林代表のすることのような気がしました。
残念ながら、会見の様子は余計に疑問を残したまま終わったように思えます。
とにかく残された動物には誠意を尽くしてもらいたいです。


「ひろしまドッグぱーく」問題:動物愛護団体、年内撤退へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061212-00000207-mailo-l34

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2844458/detail
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by chobimame | 2006-12-13 22:47 | 時事